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このページは、ホームの中の食事と介護の中の希望の一口応援隊の中の第1回 もう一度お口から食べたい(前編)のページです。

猪原光先生の希望の一口応援隊猪原光先生の希望の一口応援隊

『もう一度食べたい』

『今日は少し塩辛いわね。』

失語がある患者さんが、小さいけれども一生懸命声を出された。
満天の笑顔がこぼれる。思わず、胸が熱くなった。

数ヶ月前、当院の訪問診療部にかかってきた電話は、訪問看護に行っていた看護師さんからだった。

「お口の中が大変なことになっている。一度診てもらえないでしょうか。」

脳梗塞発症後、ひどい誤嚥性肺炎になったのをきっかけに、禁食になって3年・・・
失語がひどく、表情も堅い。初診時に笑顔はなかった。

治療が必要な歯も多く、長い間食事をしていないお口は、
汚れがたまりやすく、とても不衛生な状態となってしまっていた。

罪悪感のちゃぶ台

数ヶ月間、私は歯科治療を続け、その後は担当の歯科衛生士が通ってお口を整えていた。

ある日、歯科衛生士から相談を受けた。

「先生、この方は本当にもう食べられないのですか?いつもそばでご飯を食べる旦那さんを見ていられないのです。」と・・・

旦那さんは、奥さんが脳梗塞に倒れるまで、洗濯も、ご飯も炊いたことがなかったが、80代になって必死に家事を覚え、手厚く奥さんを介護されていた。

食べられない奥さんの傍らで、自分一人、ちゃぶ台でご飯を食べる旦那さん、
「自分だけ食べるのは本当に申し訳ない・・・。」と漏らしたことも。
罪悪感を感じながらの食事ほどつらいものはない。

「1粒でもいい、米粒を食べさせてやりたい。」

旦那さんからのこの一言が、胸にぐさりと刺さった。

一口への長い道のり

奥さんはもう何年も口から食べていなかったが、胃ろうを使いながら、肺炎を起こすことなく、状態も安定していた。
私は2人の意志を確かめるため、口から食べるということの「リスク」を説明した。何年も食べていないとなるとさらにハードルは上がる。

しかし、ご本人の「食べたい」という想い、そして旦那さんの「食べさせたい」という熱意は、とても強いものだった。

声を上げよう!
勇気を出して、ご本人や旦那さんの想いを在宅医療・介護チームのみんなに伝えた。

私は歯科医師だから、医科主治医の先生方のバックアップは欠かせない。また食べる支援を行うには、家族と、かかわるスタッフみんなが同じ方向を向く必要がある。
まずは、1つ1つチームをつなぐ作業からスタートした。

在宅主治医、病院の主治医、訪問看護、訪問介護、そしてチームの要であるケアマネジャー。
それぞれのメンバー、そして家族の想いをまとめるのに1ヶ月かかった。最後には、病院の主治医が「何があっても、必要な時には絶対に入院を引き受けます。」と言って下さった。

折れた心

歯科衛生士がお口を整えるために口腔ケアを徹底して行い、平行して言語聴覚士が嚥下リハビリを始める。最初は食べものを使わないで行うリハビリ(嚥下体操など)から始めた。

数回目のリハビリあたりで、どうもご本人の元気がない。
失語はあったが、一生懸命話そうとされはじめていた。
なんとか聞き取ると、

『やっぱり食べなくていい。』
暗い表情で言われた。

内心、驚いた。
やっとそろった多職種チーム。ここで止めてしまったら、もう二度と食べられないかもしれない。

ご本人の想いがどこにあるのか、向き合うところからもう一度スタートした。

幸せ一口会議

口から食べることが難しい方々に対し、食べる支援をしていくことは本当に色々な壁にあたる。大きな進歩がみられることは、決して多くはない。

そこで大事になってくるのは、一緒に小さな変化を喜びながら進んでいく雰囲気作りだ。
ご本人も、家族も、そしてかかわるスタッフも、みんなで小さな一歩を喜びながら進めていくと本当に充実した時間となる。

だから今回もスタッフに提案した。

「『幸せ一口会議』を私たちのクリニックでまず行おう。」

いつもの会議ではなく、『幸せ一口会議』。私達の意識も大事になってくる。
折れてしまっているご本人の心はどこにあるのか、食べたいという思いは本当になくなってしまったのか。ゆっくりと模索していこうと話し合った。

ご本人は間違いなく、何とか口から食べたいと思っている、しかし何かで心が折れてしまっている・・・。
これが私たちの結論だった。

しばらくリハビリを続けながらご本人の思いに寄り添うことを目標とした。

禁食の恐怖

リハビリを続けながら、ご本人の思いが少しずつ見えてきた。
『怖かった・・・』

以前、脳梗塞後に誤嚥性肺炎もおこした折に、口から食べるのはリスクが高いと言われたことが恐怖感として残っていた。
今度もまた、食べてはいけないと言われてしまうのではないか、と、とても怖かったようだ。

味噌汁の魔法

折れた心に小さな光を灯すため、まずは「思い出の味をもう一度!」を目標にリハビリの内容を考えた。

通常は、氷を使っての嚥下訓練を行う。でも、多少はリスクが上がるものの、ジュースを凍らせて行うことにした。

小さなジュースの氷のかけらを口に入れる。
どきどきしながら表情を見つめる。
一気に表情が変わる。

『美味しくない・・・。』

あぁ・・・、りんご味はだめか。

何回か色々な味を試したが、そのたびに『美味しくない』との返答。

しかし、回数を追うごとに表情が良くなっていき、あきらかに何かが変わっているようだった。

甘い味が全滅したところで、
「そうだ、今度は少し違った味、しょっぱい味にしてみよう!」ということになった。

言語聴覚士さんが心をこめて味噌汁を作ってきた。
だしをきかせて作った愛情たっぷりの味噌汁。その上澄みを凍らせた。

これがだめなら、また作戦を変更しないといけないな・・・そう思いながら、小さな味噌汁の氷のかけらを口に入れる。

ごっくんと喉がうごく・・・

『ちょっと濃い味ね。』

にっこり笑う患者さん。みんなで幸せな笑顔。

「やった!」みんなから歓声があがった。

失語がありながらも必死に絞り出すように言われた一言。
嬉しい思いが心からあふれているようだった。

「こんな日がくるとは・・・。今年は特別な夏になりました。」と旦那さんと息子さんが嬉しそうに言われる。
同席したみんなの心に患者さんの笑顔がしみる。

3年ぶりの味噌汁の味。
たった1つの小さな味噌汁氷がもたらす幸せな時間。

なんて幸せな空間に私はいるのだろう・・・胸が熱くなった

患者さん達がつないでくださった幸せの一口をサポートする多職種連携。

もう一度食べるために、小さな扉が開いた瞬間だった。
(続く)

猪原歯科・リハビリテーション科(広島県・福山市)

「食べる支援」を目標とし、外来と訪問診療部の両輪で、生涯を通じての、かかりつけ歯科医を目指している。

歯科医師、歯科衛生士、歯科技工士、事務スタッフ以外に、内科医師、言語聴覚士、管理栄養士などの多職種が集う、全国的にも珍しい、不思議な歯科医院。


中に入ると一番に目につくのはオープンキッチン。
待合い室の一角にあるこのキッチンは、『大好物を最期まで』を目標とした、食べる支援を行っていきたい、という想いがこめられている。

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