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このページは、ホームの中の食事と介護の中の希望の一口応援隊の中の第3回 息子と親父の二人三脚のページです。

猪原光先生の希望の一口応援隊猪原光先生の希望の一口応援隊

穏やかな午後の時間、
息子さんの青春時代の曲がベッドの傍らから流れてくる。
息子さんの大きな手でそっと運ばれる幸せの一口。

『もう食べられないのだろうか』

出会いは、急性期病院での嚥下評価(飲み込みの検査)だった。
急性硬膜下血腫で倒れ、元気だったお父さんの生活が一変した。
それから2か月・・・。

「厳しい結果ですが、生きていくために必要な量の栄養を口からだけで摂取していくことは難しい状況です。
しかし、これは口から食べることを決して諦めるわけではありません。
少しでも口から食べられるように一緒に食べるリハビリを続けましょう。」
私はそう声をかけた。

それを聞いた息子さんはがくりと肩を落とされたものの、その後、食べるリハビリを続けるために、胃ろうをつくる覚悟をされた。

初めての介護

在宅医療をはじめるにあたり、退院時カンファレンスが開かれた。
私は、当院の歯科衛生士と言語聴覚士と一緒に参加した。大きな机の周りには、病院スタッフと、在宅療養を支える多職種チームのメンバーが一堂に集まっている。
たくさんの人数に囲まれ、不安そうな表情を浮かべている息子さん。
在宅介護・・・すべてが初めての経験・・・。

『お腹の管から栄養を入れて、それで生きていると言えるだろうか?』
『大好きなコーヒーを胃ろうから入れて、本人は楽しめるだろうか?』
『胃ろうをつくったにも関わらず、食べるリハビリを続けることに、いったい何の意味があるのだろうか・・・。』

そう厳しい顔をする息子さんの顔を見ながら、退院後の在宅での支援に不安がよぎった。2人にどう寄り添い、サポートしていこうか・・・。

『家に帰りたい』

在宅療養を開始されて1ヶ月。
数回の訪問診療を行ったが、在宅生活にも少しずつ慣れてこられたようだった。
息子さんがしみじみと話される。

「先生、実は、病院ですごく不安でした。元気だった親父がこんなに厳しい状況になった。だからあの時、もう家に連れて帰るのはとても無理じゃないか・・・そう思っていました。
でもね、先生、覚えていらっしゃいますか?背中を押してくださったこと。

『もしお父様を家に連れて帰りたいと強く思われるなら、今は昔と違い、在宅でも助けてくれる職種がたくさんいます。まずは、その思いを率直に病院に相談されてみたらどうですか?
大丈夫。もし帰られる時は、私たちもご自宅での療養をサポートします。一口でもお父様がお口から食べられるようにリハビリしましょう。』と・・・。

あの時、背中を押してもらわなかったら、家に連れて帰りたいとは言い出せなかった。
こうして、たくさんの方にサポートしてもらって帰ることができました。本当に帰ってきてよかったです。」

1ヶ月の在宅生活で、不安も徐々に解消されてきている。
次は「口から食べる」ステップだ!

食べる口をつくろう

息子さんの手で、丁寧にお口のケアがされる。
お口から食べていないため、すぐにかさぶた状のものが口腔の粘膜に貼りついてくる。細菌が繁殖し、誤嚥性肺炎の原因にもなる厄介者だ。
これらを痛みがないようにしっかりと取り除くのは、かなり難しい口腔ケアとなる。

しかし、息子さんのチャレンジはすごかった。
歯科衛生士の口腔ケアのやり方を徹底して勉強し、難しい口腔ケアを、1日何度も何度もしてくださる。

息子さんの手は、お世辞にも小さいとは言えない。お父さんのお口に入るには、少し窮屈そう・・・。
しかしその大きな手で丁寧にお父さんのお口をきれいにする。

そこは男同士。口数も少ない。
しかしそこに流れる不思議と穏やかな時間。
息子と親父の絆を感じる口腔ケアの時間だった。

コーヒーが飲みたい

「たった一口でもいい。もう一度食べさせてあげたい・・・。」息子さんの切なる願い。
毎日の口腔ケアが軌道に乗り、口腔内の状態も落ち着いてきた。
食べる支援を始めるにあたり、まずは在宅主治医を始めとした医療・介護の多職種チームのメンバーが集まる在宅カンファレンスを開いた。

小さなお部屋に置かれたベッドの周りで、お父さんを囲んでみんなで話し合う。

目の見えないお父さんの楽しみの1つはコーヒーだった。
「もう一度コーヒーの味を楽しませてあげたい・・・。」それが最初の大きな目標となった。

コツコツ嚥下リハビリを続けた。
90代のお父さん、本当にがんばった。
傍らで息子さんがいつも寄り添っておられた。

まだまだいけるぞ90代!
人生の大先輩はいよいよコーヒーを味わうところまでたどり着いた。
美味しそうにコーヒー味のゼリーを食べる。

『あ・・美味しい』
しみじみと言われ満面の笑みを浮かべる。とろけるような笑顔に、みんなで大歓声を上げた。

口に広がる久しぶりのコーヒーの味。美味しい香り漂うお茶タイムだった。

いつか夢を叶えたい

目の見えないお父さんの楽しみは、コーヒー以外にもう一つ。それは点字新聞を読むこと。かねてからとても読書家だったのだ。
先日、大事にとっておられる点字新聞を見せていただいた。

そんなお父さんのベッドの傍らで、息子さんが夢を語る。
「いつかこのご両親の介護が終わったら、叶えたい夢があります。たくさんの蔵書を携えて古本屋を開きたいんです。」

穏やかな午後の時間、
息子さんの青春時代の曲がベッドの傍らから流れてくる。
息子さんの大きな手でそっと運ばれる幸せの一口。

息子と親父で二人三脚。
いつか夢を叶える日まで。

猪原歯科・リハビリテーション科(広島県・福山市)

「食べる支援」を目標とし、外来と訪問診療部の両輪で、生涯を通じての、かかりつけ歯科医を目指している。

歯科医師、歯科衛生士、歯科技工士、事務スタッフ以外に、内科医師、言語聴覚士、管理栄養士などの多職種が集う、全国的にも珍しい、不思議な歯科医院。


中に入ると一番に目につくのはオープンキッチン。
待合い室の一角にあるこのキッチンは、『大好物を最期まで』を目標とした、食べる支援を行っていきたい、という想いがこめられている。

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