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このページは、ホームの中の食事と介護の中のみんなの家族介護の中の三宅さんちの介護日記~床ずれが消えた!?~(1)のページです。

三宅さんちの介護日記 ~床ずれが消えた!?~(1)三宅さんちの介護日記 ~床ずれが消えた!?~(1)

親父の紹介

まずは、父を紹介します。

  • 大正5年(1916年)3月9日生まれ、現在、94歳。
    第二次世界大戦では陸軍所属。
  • 戦後結婚。四人の子供(一女、三男)を無事育て上げた。現在、妻(84歳)と生活。
    長男夫婦が道を隔てた向かいの家に住んでいます。
  • 趣味:日曜大工。スポーツ。大学時代は、柔道部、漕艇(ボート)部。球技も好きで、野球はサウスポー。ギャンブルや株はやらない堅実・実直タイプ。
    みんなで楽しく飲むのが大好き。「千福一杯いかがです。」がライフワーク。
    天然実直から発生する言動は大変面白い。
  • 現在はスポンジボールのキャッチボール、スポーツ、テレビ観戦、与作の独唱など、ベッド上の日常生活を満喫。

介護が必要になった経緯

2000年(84歳)

この頃の父は、毎日大好きなお酒をたくさん飲んでいました。
父の趣味はいわゆる日曜大工で、庭の木の伐採や家の修理など「自分のことは自分でなんとかする」という性格です。

2006年(90歳)

お酒は、量こそ少なくなりましたが、それでも「百薬の長」のごとく楽しく美味しく飲んでいました。また何年か前に自分で作った枝木の杖を持って、とにかく自分で歩こうとしていました。けれど脚力が落ちてきたようで、あまり外へは出なくなり、玄関の外や庭に置いてある椅子に座って、日向ぼっこなどをしていることが多くなりました。ひょっとしたら、家の警備のつもりだったのかも知れません。
父は、50代で総入れ歯になりましたが、この頃には、入れ歯をしなくなりました。お世話になっていた主治医の先生もご高齢になられ、父が相談できる先生が身近にいなくなったことと、人の手を借りずに歩いてお医者さんまで行くことがしんどくなってきていたからだと思います。それから父は、お医者さんにかかることなく、この年になるまで10年くらい生活していました。入れ歯をしなくなると食べ物の好みが変わり、牛乳と菓子パンを主食に、母が作った軟らかい煮込み料理などを食べていました。父は牛乳が体に良いことを知っていたのです。また杖に代わって、コロ付きの椅子に座り、ヒューヒューと家の廊下を移動していました。時とともに体力の低下は見られましたが、「とにかく自分のことは自分で」の精神は変わりませんでした。

2008年(92歳)

ついに、自分の足を踏ん張って体を支えることができず、ベッドにも自力で上がれなくなりました。けれどその日、見栄を張って「ほっといてくれ」と言い、一晩畳の上で過ごしました。次の日、家族の説得に応じた父は、ベッドで過ごすようになりましたが、この時のたった一晩畳の上で過ごしたことが、のちの足付け根の外側の褥瘡の引き金になっているとは誰も思っていませんでした。
このような状態で、地域の在宅医療に携わるお医者さんに初めて診断していただきました。
その結果、要介護認定を受け、褥瘡予防にもなる介護用電動ベットの上での生活が始まったのです。

床ずれ(切開後、治療中の写真)

※褥瘡:床ずれ。栄養不良や皮膚への圧力・摩擦・ズレなどが原因とされる潰瘍。長期間同じ体勢で寝たきりになった場合や車椅子で発生がしやすいといわれている。

自宅での介護生活が始まり、ヘルパーさんにお願いして、1日4回、毎日来ていただくようになりました。食事やデザート・おやつ、水分補給、掃除や洗濯は、母と兄嫁さんで、今までの生活と変わらないようにしました。介護技術をどんどん修得していく兄嫁さんは大奮闘!父が最も信頼するヘルパーさんになりました。
食事面では、主治医の先生から栄養を補うための薬をいただいていました。しかし父の口に合わず、「栄養があって父が好きなものを用意したい」という想いから、栄養補助食品を探すことにしました。いろいろな物を取り寄せて試してみたところ、父は「ポチ」のコーヒーと苺、「エンジョイカップゼリー」を気に入り、1日に7個も食べる日もあるほど。5月に褥瘡を切開した時は、一時元気をなくしていたのですが、その後、栄養がたっぷり詰まったものを食べられるようになると、褥瘡がみるみるうちに治癒に向かいました。今はリハビリも始まり、元気を取り戻しています。

次回は、訪問看護ステーションや在宅支援センターとの関わりについて書きたいと思います。

ライター:篠田一三(三男)

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