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このページは、ホームの中の食事と介護の中のみんなの家族介護の中の三宅さんちの介護日記~床ずれが消えた!?~(4)のページです。

三宅さんちの介護日記 ~床ずれが消えた!?~(4)三宅さんちの介護日記 ~床ずれが消えた!?~(4)

介護を支えている家族からのメッセージ

孫息子から

海外(中国・上海)で生活しているため、年に数回しか実家に帰れません。しかし帰国するたび、ベッドの上の祖父が満面の笑みと温かい握手で迎えてくれます。寝たきりになっても祖父が幸せそうな笑顔でいてくれるのは、毎日介護を続けている母と祖母、そして、ヘルパーさんや看護師さん、さらには家族を守る父のおかげです。呉に帰ったときは、家族皆とお世話になっている方々といっしょに、いつも笑顔のおじいちゃんに乾杯したい気分になります。

孫娘から

祖父はベッドに寝たままの生活が続いていますが、とても明るく前向きで、実家に帰るとその笑顔と突拍子もない発言に、いつも元気をもらっています。おじいちゃんありがとう、私も一日一日を大切に生きるね。そんな祖父を近くで支えてくれている家族には感謝の気持ちでいっぱいです。祖母も高齢のため、最近は思うように動くことが難しくなってきました。祖母を見て、祖父は私に「肩を揉んであげて。」と心配していました。おばあちゃん無理しないでね、また昔の話をたくさん聞かせてね。いつも祖父の側にいる母は、誰よりも祖父を理解しています。苦労もありますが、楽しく介護をしている母の姿を尊敬しています。あまり帰れなくてごめんね。祖父を支えてくださるすべての人に感謝しています。

長男から(筆者の兄)

父が寝たきりの生活になったのは、私の息子や娘たちが皆成長し、それぞれが自分の選んだ道を歩むことができて一安心、という矢先のことでした。もしかしたら頑固な父は「孫が自立するまでは何でも自分で!」と頑張っていたのかも知れません。振り返れば、父の母(私の祖母)も寝たきりになりましたが、その時期には父の息子である私たち世代は皆既に自立していました。父は、祖母から何かメッセージのようなものをもらっていたのかも知れません。
父は介護保険制度がない昭和の時代に、母といっしょになって祖母の面倒を見ていました。今その部屋で、父が生活しています。そして父の世話を、母といっしょに私の妻がしてくれています。
両親が経験したことは、次の世代でも繰り返されていくのではないでしょうか?そして、それを受け入れていくことが大切だと思います。この伝承のような、家風のような、あるいは自然の摂理のようなことが家族の繋がりを育んでいくのではないかと思っています。
毎朝父に声をかけていますが、父からは「メシ食うたか?」、「お婆ちゃんは?」、「外のゴミは?ゴミ捨てとるか?」などと訊かれます。父が気がかりなのは、自分のことより家のこと。父の何気ない発言から気づかされることも多々あります。
母も妻も関西出身ですが、2人とも広島弁が達者です。遠いところから嫁に来て、知らない土地で根を張るのは一苦労だったと思います。その根に支えられているのが、「一家の大黒柱」としての父と私だと思います。ずっと支えてくれて有難う。そして、家族皆に感謝です。

遠くに住んでいる私(筆者)ができること

モーニングコール

父が寝たきりになったあと、ほぼ毎朝7時45分過ぎに「モーニングコール(お伺い電話)」をかけています。会社が休みのときも時間をできるだけ変えずに、父の日課になるように心がけています。実家を離れ遠くに住んでいる私にできることは、電話しかないと思います。
多くの場合、電話は母が取ります。しかし最近は、母が時間に合わせてベッドに用意した子機を使って、父が自ら電話に出ることが多くなりました。
父とのやり取りでは、お互いに、ほぼ台詞が決まっています。
会話のスタートは、「グット・モーニング!」と「グーテン・モルゲン(Guten Morgen)!」からです。
そして、以下のような会話が続きます。

●時間の確認

私:「今日は何月何日?今何時?」

父:「今日は○月○日○曜日。今ちょうど○時○分。」
と応えてくれたあとに、
「カレンダーとコウちゃんがくれた時計は大きいけぇ、よぉ見えるわぁ。」

日めくりカレンダーと大きな時計と家族

●毎日のスケジュールの確認(例えば、お風呂の日)

お風呂で熱唱するため、兄嫁さんと特訓中(課題曲は「与作」)。

私:「今日は何の日じゃった?」

父:「なんじゃったかいのぉ?」

私:「今日は風呂の日じゃろぉ。」

父:「おぉ、そーじゃったのぉ。今日もみんなの世話になるのぉー。」

私:「今日は風呂のとき何歌うん?」

父:「蘇州夜曲(そしゅうやきょく)か、津軽海峡冬景色かのぉー。」

●大相撲や広島カープの話題

私:「昨日は、白鵬、どうじゃったぁ? カープも、テレビで見れたんかぁー?」

父:「見たでぇー。白鵬、勝ったでぇ。強いのぉ。
カープも頑張っとるんじゃがのぉー、・・・」

私:「そぉーじゃねぇー。今日もテレビで応援してあげてぇーよ。」

大相撲やプロ野球に加え、春夏の甲子園、柔道、世界大会やアジア大会、冬場の駅伝などは、テレビ観戦が大好きな父との会話(台詞のバージョンアップ)には欠かせません。

地デジテレビのリモコンを持って。

そして、電話を切る前の台詞も決まっています。
お互いに「サンキュー・ベリ・マッチ!」、「アウフビーダーゼーエン(Aufwiedersehen)!」と挨拶したあとに、父が「ほいじゃ、お婆ちゃんにかわるけぇー。」ということになっています。
それから、母としばらく話をして「行ってきます。また、明日。」で出社です。

帰郷

2・3ヶ月に一度の頻度で呉に帰りますが、帰ったときの恒例の「おとぼけ会話」を紹介します。

私:「今日の朝は、一三からの電話がないのぉー?」

母:「そぉーじゃねぇー。」

父:「何言うとんじゃ。一三君、ここにおるじゃないか!」

私:「そぉーじゃったのぉー、まだまだ、しっかりしとるのぉー。」

父:「ほんで、今度いつ来てくれるんじゃ?」

母:「何いうとん、一三、昨日着いたばっかりじゃろ。」

父:「あ、ほーじゃったかぁー。ほいじゃ、ゆっくりしていきんさいよ。」

これからも、こんな感じの会話が楽しみです。

今年も、来年・再来年も、ずっと良い年でありますように。

それでは、この辺で失礼いたします。

ライター: 篠田一三(三男)

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